特撮映画に登場する架空の「超兵器」をデザイン、精密な模型を仕上げる特殊美術デザイナー長沼孝(75)は横浜市南区で育った。少年時代から糸巻きとゴムで戦車を作るなど「模型少年」だった。
「そこらへんの材料をおもちゃにした。『使えないか』『やってみよう』。みんな貧乏で、図面を描いて作った」。子どもたちは工夫し、竹ひご、ゴムの飛行機を飛ばし、かまぼこ板で軍艦を作った。
小学生の時、初めて見た映画は1作目の「ゴジラ」(1954年)。映画に興味がなく、特撮も知らなかったが、東京を破壊するゴジラに驚き、圧倒された。「すごい。本当にいるのか」。劇場を出て夜の横浜を見回し、ゴジラの姿を探した。映画の仕事を志したきっかけは「地球防衛軍」(57年)。敵ロボット・モゲラなどメカに魅了された。「目を輝かせて『こんなの作って仕事になるのか』って思った」
スタジオ全焼
「模型少年」の情熱 特殊美術デザイナー・長沼孝さん
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特撮の歴史を伝える自身の著書「東宝特殊美術部外伝」を手に、特殊美術課の思い出を語った長沼孝さん=川崎市川崎区の神奈川新聞社川崎支局 [写真番号:1125688]
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「連合艦隊」(1981年)で爆発し、轟沈する戦艦大和((C)TOHO CO.,LTD.) [写真番号:1125689]
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「首都消失」(1987年)の撮影で、自身がデザインしたSCM車の前に立つ長沼(右)((C)関西テレビ・徳間書店・KADOKAWA) [写真番号:1125690]
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「ゴジラ(1984)」で作り上げた新宿のミニチュアセット((C)TOHO CO.,LTD.) [写真番号:1125691]
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「さよならジュピター」(1984年)撮影中の長沼(前列左から3人目)。原作者・小松左京(同5人目)らの姿もある((C)1984 東宝・イオ) [写真番号:1125692]