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上野元横商会頭が死去 100歳、内航海運業界に貢献

経済 | 神奈川新聞 | 2016年3月12日(土) 02:00

毎年1枚ずつ描いていた干支(えと)の絵の展覧会を開いた上野豊氏。絵の腕は玄人はだしだった =1989年9月
毎年1枚ずつ描いていた干支(えと)の絵の展覧会を開いた上野豊氏。絵の腕は玄人はだしだった =1989年9月

 上野トランステック名誉会長で元横浜商工会議所会頭の上野豊(うえの・ゆたか)氏が6日午後8時40分、鎌倉市内の自宅で死去した。100歳。横浜市中区出身。通夜と告別式はすでに近親者で執り行い、近く「お別れの会」を開く予定。供花や香典は辞退する。同社会長兼社長で横浜商議所会頭の上野孝(たかし)氏の父。

 横浜高等商業学校(現・横浜国立大経済学部)卒業後、1937年に合名会社上野運輸商会(現・上野トランステック)に入社。66年に同社代表社員社長に就任し、75年には株式会社上野運輸商会社長、87年に会長。98年に上野トランステック会長に就き、2008年から名誉会長を務めた。

 石油需要が増大していた1957年、当時として国内最大の内航タンカーを建造。59年に国内初のステンレス製ケミカル専用船を建造したほか、71年には船舶事故防止や海洋環境保全を目的に「伊勢湾防災」を設立し、海上防災業務に取り組んだ。83年から97年まで全国内航タンカー海運組合会長を務めるなど、内航海運業界の発展に貢献。シェル石油との輸送業務を通じて日英関係に寄与したとして、大英勲章を授与された。

 一方、79年から94年まで横浜商議所会頭を務めるなど横浜の経済界をけん引。帆船日本丸の横浜誘致や横浜博覧会の開催、横浜美術館の建設に取り組むなど、文化や観光事業を通じて地域発展にも尽力した。

 多方面にわたる貢献で86年に勲二等旭日重光章、94年に横浜文化賞、95年に神奈川文化賞をそれぞれ受けた。

 
 

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