11年前の東日本大震災から続く災後の日常をどう紡いでいくか。世間の関心が薄れゆく中、あの日の苦難を糧に前を向く人の姿を千葉県旭市にみた。(渡辺 渉)
「ぎりぎりのところで、私たちの思いを受け止めてくれたのかもしれない」
2011年3月11日の東日本大震災で14人が死亡、2人が行方不明となり、首都圏最悪の津波被災地となった千葉県旭市。被害が集中した九十九里浜東端の同市飯岡地区で被災した渡辺昌子(75)は、市の対応を前向きに捉えている。現在審議されている市の22年度当初予算案に、新たな文芸賞の創設が盛り込まれたからだ。
「休止」
津波そのとき 千葉・旭市から(上) 言葉の力これからも
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5回目となった昨年の「旭いいおか文芸賞『海へ』」の公開審査会で、壇上からあいさつする渡辺昌子さん(前列中央)。この後、休止を決めた=2021年2月、千葉県旭市 [写真番号:1040115]
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3月で65号を迎えた「復興かわら版」。最近は旭市に戻った若者を取り上げることが多い [写真番号:1040118]
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犠牲者を悼み、昨年建てられた「慰霊之碑」。今年は献花台が設置される=2021年3月11日、千葉県旭市 [写真番号:1040126]