30年目のJリーグ(7)
マリノスあの日あの時 初栄冠の年は空中分解の危機だった
横浜F・マリノス | 神奈川新聞 | 2022年6月29日(水) 17:30
Jリーグ開幕前年の1992年に産声を上げ、ことし創設30周年の節目を迎えるJ1横浜M。その立ち上げから長く運営に携わってきた根本正人さんが、忘れ得ない出来事や選手らにスポットを当てながら歴史をひもとく。
1995年シーズン、マリノスはJリーグ初年度から指揮を執った清水秀彦監督に代わり、アルゼンチン人のホルヘ・ソラリ監督を招聘(しょうへい)した。94年のワールドカップ(W杯)米国大会でサウジアラビアをベスト16に導いた指揮官の手腕に、命運を託した。
采配は大胆だった。開幕の鹿島戦でいきなり高卒ルーキーの松田直樹選手、窪田龍二選手を先発起用。3人同時に選手を交代するなど積極的にタクトを振るい、スタートダッシュに成功した。ファーストステージの中断期までチームは11勝5敗で首位を走った。
消えた監督 消えた選手
マリノスあの日あの時 初栄冠の年は空中分解の危機だった
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